忍者ブログ

エセイカ東の思考整理

21歳、東大生。東大生に多いであろう僕のちょっとした、言葉にならない普遍的な病気。 これに僕はエセイカ東病と名付けます。僕の症状に心当たりのある方、教えてください。どうやってその傾向と付き合っているのか。理想的な生き方のバランスとは。 思考整理と、自分の腹を見せてしまうこと、けなされること。それも目的。 ツイッターでも言えない、ゴミのような思考をここに捨てていきます。

HOME • Admin • Write • Comment
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

僕の中で、エセイカ東というもののイメージがあり、それは僕に当てはまっていると思う。

「イカ東」とは、東大生ならだれもが知る言葉で、「いかにも東大生」の略である。
具体的には、シャツをダボダボのジ―パンにインして、メガネで野暮ったく、いかにも勉強ばっかりしてきましたみたいな、もてなそうなやつのこと。

基本的に、イカ東というのは不名誉なこととされています。そこから、勉強ばかりして東大に入った人たちの中には無理してそういうイメージを払拭しようと、オシャレを頑張ってテニサーに頑張ってはいる、「ネオイカ東」なるものもあるらしいですが僕にはそのへんの事情はまったくわかりません。

しかし、「イカ東」と一口で言っても、2種類ある気がする。1つは、少ないけれども本当に勉強が好きで今までも自分の明確な意志で勉強してきて、身なりなんかにそんなに興味がなく、自分に自信を持っている人たち。こういう人は専門性が高くなる3,4年生から活き活きしだすでしょう。それを「真正イカ東」と勝手に考えています。それって、かっこいいじゃないですか。こういう人たちが学問で成果を出すんだろう。

もう一つが、入学まで勉強ばかりしてきたけれども、それは親の影響で、「学歴がないと将来困る」とかそんなことをうのみにして、消極的な気持ちで勉強してきたけれど、合格したら、自発的に事を起こす力に欠いていて人生へのビジョンもろくになく、ファッションも気にしたことがない(or気にはなっていてもカーちゃんの買った服を着るほかない)ため服もダサい(入学後取り繕ってましにはなるが)、女の子と話すのにも慣れておらず、自信もない。恋愛するための行動力にも欠いている。当然人と話す際にも魅力的なはずがなく、面白い話の一つもできやしない。彼女もできない。

そんな状態の人が「エセイカ東」で、きっと「キョロ充」にもなれないひとたち。
こんな人が東大にはけっこうたくさんいるはず。きっと中高一貫の男子校で、自分の進路を真剣に考えなくても流れで東大に来れる人が多いだろう。この状態を長くこじらせたままだと、「東大までの人」とか、「内定ゼロの人」とかになるんだろう。

でもちろん自分は「エセイカ東」に入る。
こう書いてみると、こんな状態はいやだああああ!!!!
ただ、こんな状態も、永続的に続くはずはない、と信じてはいる。原因と抜け出す方法があるはずである。

見方によっちゃ、こうも書ける。
PR
あれ?あんな風に思い悩んでいたが、今はわりとすっきりしている。趣味のブログを更新、趣味に対する気持ちの整理が進んだから。

俺は珍しい趣味をいくつも持っている(俺は収集癖がある。人の気持ちとかには敏感と思っているけれども、場の空気というものにも敏感であると思っているが、だからといってコミュ力が決してあるわけではない。ちょっとアスペの傾向あり?)
どれもこれも収集系。
これについて詳しく書くと特定されそうだから書かないが。
その趣味に対して俺は、アイデンティティを感じている部分が絶対ある。
もともと本当に好きで、なおかつあまり人に開拓されていない分野だから惹かれたところがあるが、その、「普通の人にはない」ところに面白さを感じ、すがってきたところがあるにちがいない。

その収集に長い間熱中してきた。お金も沢山かけた。だがそれは、よくよく考えてみると面白くもなんともない。そんなことより人とのふれあいのほうがよっぽど面白いだろう。とはいえ自分は人とのふれあいが苦手なんだが。

というわけでともかく、収集からフェードアウトしようという決心がついた。だから気持ちが少しすっきりしたんだろう。
ともあれ、気分の浮沈みが激しいのも、自分の病気の特徴だ。
そういえば、僕は絶対音感がある(そんなに程度の高いものではないが)。これがなかなか人にいう機会がないが、特に練習するわけでもなく、ピアノをやるわけでもなく身についたというのがなんとなく誇り、自分はすごいんだ、という思考があるのである。だからこそ、それを何の脈絡もなくいうのは、ナルシーになってしまうからと、言わないのである。客観的に考えてみてどう考えても自意識過剰である。こういうしがらみって、頭ではわかっていても、実際に人に自慢してみたりするまでは、融けないんだよなきっと。

 こういうことは、東大に入ったということ、それから自分の見た目についても、こういった自意識過剰があり、なおかつ人にはあまり言えないのである。
東大に入ったということについては、同じ「高学歴」同士でそういう話をすることはあるが、それその枠の外、高学歴でない人たちにはいうことができないのである。

 もっとも自分は東大に入ったからすごいなんてまったく。自分は中高一貫校の流れに任せて東大に入ったし、動機も、将来の安定性という不純な動機がけっこうあった。(これ以外の不純じゃない動機もあるが、それによってこれが正当化されるとは感じない!!)そうして、周りの環境が整っている中で勉強する能力は確かにあった。が、自分で進路を考え、決断し、自分ならではの生き方を決定していく能力に欠いている。勉強ができるだけなんじゃないか、自分は?
という思考もあるが、「おれは最難関の東大に入れたんだ。おれのポテンシャルなら↑のようなことだってキャッチアップできるかもしれない!おれは人とは違うんだ!」という思考もあることが否定できない。そして俺はこれを悪いことだと思っている(おごってる、と非難されちゃう)から、それを言わない。傷つくのを恐れて猫をかぶっている。

こんなことを勇気を出して全部言ってみたい。そしてボロクソに非難してほしい、と思うことが多々ある。もっとも、こんなことはありふれたことなんだろうが。

俺はこんなわけのわからないサイトを自分の知人や家族には見せられない、という思いがあるけど、もしばれたら見せようと思う。というのは、そういうのを見せることでなにか道が開けるんじゃないかという期待があるから。ばれたら、じゃない。今すぐさっきの知人に見せてみればいいんだが、そうする気にはならない。というのは、どうせ見せても、「あ~、人間だれしも、そういうところってあるよね」って返ってくるだけだろ、という風に思ってしまうから。
「いやそれはもっともなことだろ、自分で考えてその状況を打破するように試みろよ。」
と、正論を投げかけてくるもう一人の自分。しかしそれをする気はあまり起こらない。というのはおそらく、自分に固執しているから。自分というものにこだわりがあって、正論、社会の論理で動きたくない。そんな深層心理があるんだろうな。やっぱり、自分のした思考を無視して、「何か起こるかもしれないから」と、その知人にこんな腹の底を見せる気にはならない。
そうして内にこもっていく。

こんな陰鬱な思考をしたのは久しぶりで、調子のいいときはもう少しましかとは思うが
(こういうのは考えれば考えるほどダメになるもんだから)。

ああわかったわかった、こんな下らない思考はやめて、カウンセリング、さっさと行ってみよう。
Copyright ©  -- エセイカ東の思考整理 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]